小沢健二の1stライブ

フリッパーズ時代のCDについて、ゲスト出演したあるラジオ番組で「持ってる人は捨てちゃって下さい、燃えないゴミの日にでも」とコメントし物議を醸した。
コーネリアスのソロ1stシングル『太陽は僕の敵』を「ピチカート・ファイブの音とフリッパーズ・ギターの歌詞が好きな人が作ったような曲みたいだった。そんだけ」と酷評した。

この発言をする前に、日比谷で行われた小沢健二の1stライブを見にきていた小山田圭吾は、フリッパーズ・ギターの頃の楽曲とは正反対のシンプルでロック色の強い楽曲を「なんだか尾崎豊みたいだった」と否定的なニュアンスで評した。

ホルモンタンク

2006年現在、廃盤となっている8cmシングル群にはプレミアがつき、一部では高値での取引がなされている。
1997〜8年にかけて8cmシングルを多数リリースしたが、「全て一まとめにしてアルバムで出せばよかったのではないか?」という問いに「シングルCDの短冊形のジャケットが好きだから」と答えたという。

小沢健二シングル集『刹那』は本来2003年の夏頃にリリース予定だったが、延期を重ねた末に同年の終わり間近、12月27日にリリースされた。しかし、当初収録予定だった1997〜8年のシングルは収録されなかった。1995年リリースの『戦場のボーイズ・ライフ』も未収録。

一説には自ら選曲を行った小沢がこれらのシングルの収録を渋ったためだと言われる。
小沢健二による造語:「ホルモンタンク」―下目蓋のふくらみ(涙袋)を示す語として現今広く用いられるが、これは1997年出演TV『おしゃれカンケイ』トーク中の発言に端を発している。(『目の下にさ、ほらぷっくりとある女の人いるじゃないですか、あれ俺すごい好きなんですよ、あれを「ホルモンタンク」と名づけてて。』)

小説「うさぎ!」を連載

現在、日本におけるメディアの露出は全く無いものの、頑なに自己の作品を創るその姿勢は、まるで純文学作家のようだとも評される。父である小澤俊夫責任編集の季刊誌「子どもと昔話」25号(2005年10月発売)から小沢健二の小説「うさぎ!」を連載スタート。

1話目のみ公式ホームページで公開中。内容は現代の資本主義末期の欺瞞に満ちた社会を風刺するもので、子どもたちが主人公。ベネズエラの大統領ウゴ・チャベスやプラスチックの再利用に関して等、重いテーマが選ばれている。

毎日の環境学

2006年3月8日には『Eclectic』以来約4年ぶりとなる小沢健二オリジナル・アルバムとして全曲ボーカルレスによる『毎日の環境学: Ecology Of Everyday Life』をリリースした。エレクトロニカ、クラブ・ジャズ、ラウンジ・ミュージック、インストゥルメンタルR&B、アンビエントといったジャンルに属するであろうサウンドであった。

参加ミュージシャンとしてVincent Chancey、Marty Ehrich、Erik Friedlander、Arron Heick、Steve Kahn、Steve Nelson、Adam Rogers、Benjamin Love、Kenny Seymour、Mike Hamptonなどのジャズミュージシャンやファンカデリックのメンバーが名を連ねる。

R&Bやソウルに向かう

1998年に小沢健二シングル『春にして君を想う』をリリースした後しばらく活動を休止、ニューヨークの今の音として(全てNY録音)R&B、AORに傾倒した4thアルバム『Eclectic』を2002年にリリース。この前にアメリカのレーベル、モータウンと契約し、1999年にマーヴィン・ゲイの生誕60周年を記念したトリビュート・アルバム『Marvin is 60』に日本盤のみながら参加するなど、この時期からR&Bやソウルに向かいつつあったことが伺える。

フリッパーズ・ギター

1989年、東大在学中からアマチュアバンド「ロリポップ・ソニック」にて活動。これが、プロデビューを果たすと同時に、「フリッパーズ・ギター」と名前を変更。アマチュア時代、フリッパーズ・ギターデビュー当初は五人だったが、直後に小沢と小山田の二人になる。フリッパーズは、オリジナル・アルバム三枚といくつかの編集したアルバムを残して1991年に解散した。

東京大学文学部に入学

1968年に神奈川県小田原市に小沢健二は産まれるが、すぐにドイツへと移住する。 小さいころから音楽、文学に熱中し、特に当時やっていた「ザ・ベストテン」という歌番組は下位20位までチェックするという熱の入れようだった。中学校は私立和光中学校へ進学、小山田圭吾と出会う。

高校も系列の和光高等学校に進学するかと思われたが、神奈川県立多摩高等学校を受験して進学。部活動ではバンドを組んでいた。高校卒業後、一浪し東京大学文学部に入学する。入学した動機は小林よしのりの『東大一直線』を読んだことからだったから人生は解らないものです。さわやかな健二スタイルがこのころ確立したのだろうか?

2ndアルバム『LIFE』

小沢健二さんはフリッパーズ・ギター解散後、ソロで音楽活動を開始する。 1993年、『天気読み』でデビューし、1stアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』をリリース。 1994年、ヒップホップ・グループであるスチャダラパーと共演したシングル『今夜はブギー・バック』をリリースし、50万枚を超える大ヒットになる。

このヒットにより小沢健二の名は一躍広く知れ渡り、また日本にラップ・ミュージック / ヒップホップのポピュラー化を促すこととなった(この点については日本のヒップホップを参照されたい)。 ソウルミュージックを取り入れた甘い楽曲でポップに仕上げられた2ndアルバム『LIFE』は、大ヒットとなる。

これと前後してメディアでの軽快だが知的で余裕のある振る舞いやファッションも作用し、小沢健二さんは主にOL層から渋谷系の「王子様」と称されるまでの人気を博するようになり、時の人として世間を騒がせる。1996年、ジャズテイストの3rdアルバム『球体の奏でる音楽』をリリース。渋谷毅がピアノを担当している。

叔父は指揮者の小澤征爾

小沢健二さんは良家の出です。父方の小澤家は文化人を多く輩出し、母方の下河辺家は経済人を多く輩出した。従って小沢の家族・親族には父方・母方ともに著名人が多い。小沢健二の父方の親族については、祖父は戦前の民族主義者である小澤開作、伯父は彫刻家の小澤克己、
叔父は世界的な指揮者の小澤征爾及び俳優の小澤幹雄、従兄弟(征爾の子)に俳優の小澤征悦らがいる。

母方の親族については曾祖父は日本鉱業(現・ジャパンエナジー)元社長の下河辺建二、祖父は下河辺牧場の創業者・下河辺孫一、叔父は下河辺牧場代表の下河辺俊行、大叔父は日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)元社長の下河辺三史らがいる。

下河辺三史の妻は政治家で元内閣総理大臣・芦田均の長女なので、小澤家は下河辺家を通じて芦田家と姻戚関係にあるんだ。

小沢 健二とは

小沢 健二さん(おざわ けんじ、1968年4月14日 - )は、日本のシンガーソングライターですドイツ文学者・小澤俊夫の次男として神奈川県に生まれた。血液型はO型で、神奈川県立多摩高校卒業後、早稲田大学に入学するも仮面浪人をし、東京大学に入学。ゼミでの担当教授は柴田元幸。愛称は「オザケン」。所属レコード会社は東芝EMI。



※小沢 健二の魅力、他はあくまでも私の趣味として連載してます。間違いがありましても当方は一切責任は負いません。